コラム

想いと言の葉

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最近、とある人に言われた言葉が妙に思い出される。

「想いが強い分、人よりも辛い思いをすることもあるだろう」

そんな言葉だった。
その時、こう言ってくれたその人に、”この言葉” に、とても救われたのだ。
独り善がりに感じていたいろんな辛さを少し認めてもらえたようで、とても嬉しかったし、感謝もした。

ところで。

『言葉』とは、とても安易で、そして一人歩きするものだ。
深い意味を持たせたつもりはないのに、受取手によっては、とてつもなく恐ろしい言葉に様変わりしてしまったり。
自分の知らないところで言葉だけが一人歩きして、取り返しのつかない事態に発展してしまったり……。

想いが強い分、その『言葉』というものに含まれる意味も大きくなるわけで。
でも、こちらが意図していたものとは違う意味合いで『言葉』が解釈されてしまうと、その想い分、とんでもないことにまで『言葉』が勝手に成長してしまって、自分が放った言葉なのに自分の手からは離れてしまい、どうすることさえもできなくなったりもする。

例えば、私が意図していた『言葉』とは違う解釈をされてしまったら、私は「ごめんなさい」と謝るしかできないわけで。
そんなつもりで言ったわけではないんだよ、と弁明したとしても、受取手が納得できなければどうしようもない。
一度誤解を受けてしまった言葉は、どんな弁解を付け加えたとしても、それがどう働くかの最終判断は受取手の手中にあって、となると、やっぱり私にできることは、一生懸命の、心からの「ごめんなさい」の言葉だけ。

違う解釈をした相手が悪いと責めることは簡単。
でも、そうゆう事態を招いた『何か』が自分の言葉にあるのだろう。
それ故に、相手を傷つけた。
そのことに対しての「ごめんなさい」の気持ちは、本当。

だけどね?
私が本来想って綴った言葉の意味は、そこで宙ぶらりんになってしまって、誰にも受け取ってもらえず、哀しく忘れられてしまうだけになる。
その『想い』は、誰にも解釈されずに消えるしかない。
想いが強い分だけ、その哀しさは大きく、計り知れないもので……。

ちくりと痛んだ胸にだけその想いは残り、口先にのぼりそうになるのをぐっと堪えて、想いと同じ分の哀しさも一緒に飲み込むしかなくなる。

たった今、そんな辛い想いを抱えているわけではないのだけれど。
でも。いや、だからこそ、思う。

飲み込んだ想いを自分の中でしっかり受け止められるだけの器を、大きく育てなければ、と……。
想いが強いのなら、その想いに見合うだけの器を自分の中にも用意したらいいのだ。
自分が抱いた想いをしっかり支えられるだけの器を、相手に求めるのではなく、自分の中に造ればいい。
想いの強さ分、辛い気持ちを味わってしまうのなら、その行き場のなくなった想いを昇華できるだけの強さを身につけたらいい。

そうやって成長できたら、今までに行き場のなくなったこの想いタチを、いつかは私の手で昇華できるのだろう。
いや、いつかきっと、この想いタチを昇華させてあげたい。
それが私が私に対する、けじめだと思うから…。

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